ぶらり周遊ルート

悠久の平泉寺の見どころ周遊ルート約4時間(徒歩で移動)

写真:白山平泉寺旧境内の石畳

  • 1白山平泉寺 第1駐車場

  • 2白山平泉寺歴史探遊館 まほろば

  • 3東尋坊の井戸(常夜燈|泰澄大師廟)

  • 4御手洗池(みたらしのいけ) 平清水

    泰澄大師がこの岩に向かってお参りしていると、一人の女神が現れ、「今、私は権現である」と言われました。これが神仏習合のはじまりです。また、「私の本当の姿は、白山の頂上にある。早く登ってきなさい」と言われ、泰澄大師はその女神の導きにより白山の頂上を極めることができたそうです。この池は昔、平清水と呼ばれており、平泉寺の名前の由来はここからきています。
    (白山平泉寺サイト[http://heisenji.jp/map/]より)

    徒歩で5分


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  • 5平泉寺白山神社

    白山信仰の拠点。石をまちづくりに利用する高度な技術を全国に先駆けて持ち、中世には石畳道や石垣を計画的に整備した国内最大級の宗教都市へ発展しました。その技術は、武家の朝倉氏が一乗谷城下町へ導入しました。

    徒歩で17分


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  • 6南谷坊院跡/発掘調査地

    白山平泉寺は、今から四百数十年前の天正2年(1574) に、一向一揆との抗争に敗れて全山焼亡したことが、残された記録から判明しています。
    焼亡以前の様子は、白山神社に残る絵図(右)からある程度わかります。ここ白山神社南側に広がる南谷一帯には、道路が縦横に張り巡らされ、三千六百坊といわれる多くの坊院(僧侶の住居)が存在していたようです。
    勝山市が平成元年度から実施した遺跡の範囲確認調査では、ほぼ絵図に描かれたとおりに石畳道が発見され、屋敷跡と推定される多くの平坦地や出入口、門跡、石橋、排水路、石垣等が発見されました。
    このあたり一帯の山林や田畑には、絵図に描かれたような中世の都市がそのまま埋もれていると言えます。

    徒歩で10分


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  • 7門土塀復元地

    発掘調査でみつかった礎石(柱をのせた石)や石垣をもとに、坊院の薬医門と土塀を復元しています。門の脇にある袖壁に沿って建物に続く石敷通路も確認されており、これらの配置は「北谷二千四百坊」跡の地蔵院跡とも共通するものです。中世の平泉寺は石を駆使した当時最先端のまちづくりを行っており、その技術は一乗谷の城下町建設に影響を与えたと考えられています。

    徒歩で20分


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  • 8白山平泉寺 第1駐車場